学校をやめることにした

まだ友達の誰にもいいたくない。親には相談した。でも誰かにこのふがいなさを笑って欲しかったから書いた。この記事だけ書くのにブログを作った。この後に投稿を続けるつもりはない。だれか思い当たる人物がいてもそっとしておいてほしい。混乱しながら書いたからとても読みにくいと思う。

 

がんばるがんばると言ったがやっぱり学校に行けなかった。三年前の夏の初めごろから行ったりいかなかったりを繰り返し、そんなんだから単位なんて取れるわけでもなく。

途中で休学して実家に帰ったりすることもあって、その時にすこし心療内科に通ったりもしたけれど障害の疑いは晴れ、病名を診断してもらえず。ただ少しこころの調子が悪くてカウンセリングしたんだ。少し前向きになったしいいことじゃないか。無駄じゃなかった。そう思うことにした。

現状はこの様だ。

布団からうごけなくなったとき理由がないことがこんなに苦しいとは思わなかった。医者が診断しなかったんだからおそらく自分の気持ちだ。面倒だからか?ゲームしたり動画見たいだけか?甘ったれるなニートにでもなるつもりか、そう考えても体は重く。

準備をゆったりしても十分間に合う時間に目を醒ましても布団からほとんど出ない日が続く。

そうしてるうちに一週間くらいで学校から通知が来た。今年度末までに進級単位をそろえなきゃ除籍だと。

無理だ。そう思った。どう考えてもとれるわけがない。父と母に学校をやめることを告げた。

申し訳なかった。何度もうごけなくなり、少し気持ちが上向けば次こそは大丈夫だと告げ、何度も何度も裏切ったのだ。

自分で自分が情けなく悔しく、きっとやめて働き出しても変わらないだろうとしか思えない。

薬を飲めば楽になることもあるのかもしれないが信じられない。きっと飲んでも変わりないだろう。

学校に行けなくなった最初の時期にストラテラと呼ばれる薬を処方された。頭痛ははっきり感じるのに効果はうっすらとしか感じ取れなかった。そこの病院はろくに話も聞かず検査もせず薬を出すとこだったからやめた。

実家にもどった休学時期のときの病院は癇癪の話をしたら安定剤をくれた。やる気の出なくなる症状は少し落ち着いてた時期だからかあまり対処法については話をしなかった気がする。安定剤は家族の反対もあってやめた。カウンセリングは少し通ったがお金を無駄にしてる罪悪感と無気力が落ち着いたという理由から話をしてやめた。

どうしてこうなってしまったのだろう。心当たりなんていくつもあってもすべて違う気がする。

最近はすべて自分の怠惰な性格が適当な理由を探しているのだとしか思えない。苦しいのは確かなのにきっとこの苦しささえも気のせいなのだ。

 

やめた今、履歴書に載るのは大学中退だ。誰が雇うのだろう。どうせしょっちゅう人がやめて行って人手が足りないところだけなのだ。大した才能もない。もう夢を見るような歳でもない。ほそぼそとバイトをして食いついないで行くだけだろう。

真面目に考えようとすればするほど真っ暗な闇しか見えない。

誰もかれもが大学にいくわけではないというのは分かっている。だが行かなかった人は行かないという選択を取って真面目に働いているのだ。私のように余計な回り道をしてうだうだと悩み、無駄なプライドを持った人間が社会的に評価され雇ってもらえるとは思えない。しかもきちんと働けるかすら自分で信じられないのに。

 

今日久しぶりに勇気を出して事務方に退学届の書類をもらいに行った。

昨日両親と約束したのに朝起きてしばらく布団から出られなかった。なんとか起き上がって好きなものを食べて元気を出そうと崩れた卵焼きを作ったのが十時を過ぎていた。その後も身体が重くしんどく感じ、なんとか着替えたのは一時を超えたときだった。家から出る恐怖を紛らわすため好きな香りを服につけた。

それでもつらかったので手のひらと同じくらいの大きさのぬいぐるみを抱きしめ、カバンにいれた。23になる女がたかが学校に行くのにぬいぐるみについてきてもらうのだ。異様で異常だ。

それでも同世代の女性の笑い声が怖かった。同世代の男性が話している声が怖かった。誰の顔も見たくなかった。事務の窓口にいくと何人か人がいた。そこで話を切り出すのが恐ろしく思え、回れ右して外に出た。かぶっていた帽子をカバンにいれるついでにぬいぐるみを撫でたが勇気は出なかった。母に電話を掛けた。話をしたことで落ち着いたのかもう一度窓口に行くことができた。今度は誰もいなかった。なんとか小さく早口で要件と質問を告げて書類を受け取り帰ってきた。

本当はうまくなくてもできたことを自分で褒めるのがいいのだろうが情けなさとふがいなさと滑稽さしか感じなかった。達成感などみじんもない。加えて今日行くことができたのに何故今まで行けなかったのだろうと思った。やはり体の重さや心の苦しさのすべては怠惰が原因の嘘なのだと思った。何をもってしてもこの怠惰は治らないのだろう。

 

希死念慮は消えない。でも死ねば親しい人すべてを狂わせることになるのだと思えば死など選べない。消えてしまいたいと心底思う。なかったことにしてほしい。

好きなものを考えても全て一時の慰めだ。才能などないからそれを仕事にすることもできない。そもそも怠惰だからそれを昇華することもできないのだろう。いままで努力をしたことがあったのか思い出せなくなった。思い出せないのだからきっとしたことなどないのだろう。このままでは自立もできず無為に過ごすだけだ。そんな罪悪感に耐えられもしない。いっそ努力もしないと開き直れればよかったのに。両親の財産を食いつぶすことに罪の意識など感じないクズになれたらよかったのに。中途半端な頭の良さをもらうくらいなら見た目がもうすこし魅力的で早々と同じくらいの頭のレベルの男と家庭をもち離婚と結婚を繰り返すような人間だったらよかったのに。

両親や友人が傷つくと分かっていても自分が生まれてこなきゃよかったのにとしか考えられないのだ。

まだ若い、やり直せるといわれても全く理解できない。貴方がたはそんな状況からやりなおした人間なのか?昔は取り柄が全くない人間だったのか?もしそうなら具体的に教えてもらいたい。若いからやり直せるというぼんやりとした言葉は抽象的すぎて口先ばかりの言葉にしか思えない。

 

延々と上記のようなことばかり考え、その考えを否定し、また同じことを考えるのをくりかえしている。はははは、ばかだなぁ。